龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

エキスポランドの事故について


4月29日の日曜日、私と私の両親そして息子の4人でエキスポランドに遊びに行っていた。私が前にエ

キスポランドに来たのは、もうはっきり記憶にないほど昔のことで何十年ぶりかである。昼前に到着し入

園チケット売場横辺りの傾斜地になっている木陰でビニールシートを拡げ皆で弁当を食べた。天気の良い

一日だった。その場所からもジェットコースターに乗る若者たちの喚声が間断的に聞えていた。私は高い

ところが苦手だし、ジェットコースターに乗って楽しむような年齢でもない。息子も私によく似ているの

か怖がりで、何を勧めてもいやだと言う。まあ息子の場合、身長制限で乗れないものがほとんどなのだ

が。それで仕方なく4人で観覧車に乗った。観覧車から見る風景は、平和そのものであった。その日から

6日後にあのような凄惨な事故が起こるなんて誰が考えるであろう。しかし、今思い返して見ると観覧車

から私が見ていた風景はその日常性、平和性の表層奥深くにどことなく不吉な気配を孕んでいたような気

がしてくる。悪魔はいつも日常と平和の裏側にひっそりと隠れているものなのだ。観覧車からも、あの風

神雷神とかという立ち乗りのジェットコースターはよく見えた。ぼんやりと見下ろしながら、よくあんな

怖いものに乗るなあと考えていたことを思い出す。また観覧車の高所から見るエキスポランドの広い駐車

場はぎっしりと埋まっていた。息子と「おもちゃのミニカーみたいやな。上から見るとみんな同じ車に見

えるなあ。」と話していた。当日のエキスポランドは、えらい混んでいたのである。観覧車に乗るのにさ

え30分並んだ。ゴールデンウィーク期間中、ジェットコースターなどの各種乗り物は毎回、乗車定員一

杯でのフル操業であったに違いない。その期間中の機械にかかる付加は1年を通してみても突出して大き

いものであったに違いない。だからあの事故がゴールデンウィーク終了間際の5月5日に発生したという

ことは決して偶然ではないように思われる。我々が遊びに行っていたゴールデンウィーク2日目の4月2

9日には既に悲劇に向けてカウントダウンが始まっていたのだ。個人的には事故日の5月5日が子供の日

であるということ、私と妻との親族間における、後に訴訟にまでいたる大騒動の事件があった日が3年前

子供の日であったということ、平和の象徴のような遊園地で私が子供を連れて遊びに行っていた何日か

後に、罪なき女性の首が飛ばされてしまうような恐ろしい事故が発生したということ、それら諸々のこと

が私の内部でいやな感じで重苦しく結びついて未だに少し尾を引いている。被害者の女性に対しては不運

であったというだけで済ませることはできないと思う。私もまた何かの巡り合わせで、その日、その時間

にその車両に乗っていた可能性があるのだから。そのように考えれば、結果論ではあるが被害者の方はそ

の死でもって私や他の誰かの身代わりになっているとも言えるのだ。全ての不慮の事故による死とは、そ

ういうものではないのだろうか。たとえば小さな子供たちが事故や事件、病気で亡くなっていく時にその

犠牲によって贖われ清められているものがあるという風に考えるのは私だけなのであろうか。子供の魂は

天上のものであるのだから。キリストは特別な人間であったのかも知れないが、贖罪は現代の地上におい

てもおこなわれているのだ。起きてはならないことは、必ず起こる。神のご計画のもと、誰かの死の犠牲

によって私は生かされているのである。


「貧乏で、お金を払えないからあの絵を見せてもらえないなんてひどいね。

あれを見ることができれば僕、死んでもいいのに。」

フランダースの犬、(ウィーダ作)