龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 13


それで話しがいきなり飛躍するのであるが、私は歓喜天について語りたいと思う。歓喜天大聖歓喜天、通称“聖天さん”と呼ばれる仏教における天部の神である。お姿は象頭人身で単身像と双身像があり秘仏である。空海が唐から密教を伝来した時に、弁財天や吉祥天などの他の天部の神々とともに儀軌として伝えられた。富と性愛の神であり現世利益の絶大なる力を持つが一旦、歓喜天の機嫌を損ねてしまうと大変な災いを招き、時に命を取られることすらあるという。一般的には人間に与える禍福が極端でとても恐ろしい神様であるとされている。日本で信仰を集める歓喜天は双身像の方であるが、象の頭をした男女神が抱き合っている仏教には似つかわしくない形姿をしている。元々はインドのヒンドゥー教の神、ガネーシャであり毘那夜迦(ビナーヤカ)ともいう。説話の伝えるところによると昔、魔神である毘那夜迦の悪行によって民衆は苦しめられていた。見かねた十一面観音菩薩が美しい女の姿に化身して毘那夜迦のもとに現れる。すると毘那夜迦は十一面観音菩薩の変化身である女の美しさに感嘆すると同時にたちまち欲情する。そして情交を迫る。観音はあなたが仏教に帰依し、人々を苦しめる行為をやめるのであれば希望をかなえてあげようと答える。毘那夜迦はその言葉に従い人々を守る神となることを誓う。そして抱き合うのである。私はこの話がとても好きだ。禁欲的な仏教の教えにはそぐわないが、生命本来の持つ清浄さと豊穣性が超越的な神性と地上的道徳である善の概念に結びついていて、どこか救われるような気持ちになるからである。善と悪の二体が抱き合って、歓喜天という一体の神になるというイメージにはとても心惹かれるものがある。仏教は結構、懐が深いのである。それで私はひそやかに歓喜天に対して関心を抱き続けてきた。歓喜天を祀った日本で最も有名な寺は奈良県宝山寺である。生駒山の中腹にあり、生駒聖天とも呼ばれる。私は大阪の生まれであるが、車または電車で宝山寺まで一時間ほどの距離なので昔から馴染みのある寺であった。最初に訪れたのは高校受験の合格祈願の時であり、その後機会があるごとに何度か参っていた。この一年ほどは歓喜天に対する興味が高まってきており、また個人的な煩わしい心配事も人並みに抱えているので月に一度ぐらいの頻度で定期的に参拝するようになった。半年ほど前からは宝山寺が信徒向けに行なっている拝礼講習会というものに参加するようになった。月に一度、拝殿にて僧侶たちと一緒に観音経や般若心経を読経し、各種真言を唱和するのである。その後、別室にて僧侶の有難い講話を聞かせていただき仏教の勉強をさせていただいている。宝山寺以外にも歓喜天を祀った関西の寺にはここ一年ほどの間に集中して参拝している。京都府乙訓郡の山崎聖天と呼ばれる観音寺は、住友、三井、鴻池などの豪商が家運の隆盛を祈った寺として名高い。サントリーウイスキー、“山崎”の蒸留所が近くにある。私は観音寺に三度参った。箕面にある西江寺(さいこうじ)は箕面聖天と呼ばれ、役行者が開いたとされる。西江寺には一度だけ参った。京都、山科にある山科聖天こと双林院は武田信玄ゆかりの寺で
ある。私はここに二度参った。松尾芭蕉も訪れたという大阪市福島区の浦江聖天こと了徳院には三回参った。兵庫県宝塚市の宝塚聖天こと了徳密院は了徳院の姉妹寺のようだ。この寺の横手にある墓地には、なぜか大きな零戦のレプリカがあり特攻隊員の英霊を慰めるための碑文がある。また特攻隊員が出撃する直前に妻や親に宛てて書いた遺書が掲示されている。高級住宅地にある寺なのだが、坂の勾配が急で駅から寺まで歩いて行くのにとても疲れたことを思い出す。私が訪れた時に、近所の人なのであろうか、ジャージ姿の男性が30分近くもひたすら手を合わせて聖天さんに祈っている姿が印象的であった。わたしはこの寺に一度だけ参った。天下茶屋聖天とも呼ばれる正円寺は、天王寺駅前からチンチン電車阪堺線)に乗って二つ目の駅の松虫で降り、歩いて7~8分の聖天山公園の中にある。街中にある寺だが静かで風情の感じられる環境にあって私は結構、気に入っている。この寺の本尊である歓喜仏は、円仁が唐に渡航する船待ちをしている時に彫り上げたものだそうだ。私は正円寺に二度参った。私の歓喜天詣では、ざっと述べるとこのようなものである。総括した印象を言えば、歓喜天が祀られている寺は宗派に関わらず、どことも静かで清涼が感じられるような凛とした空気の中にある。ただし歓喜天信仰が最も有名である生駒の宝山寺だけは、ちょっと雰囲気が違うのである。参拝者が多いということも関係しているのであろうが、猥雑とも言い得るようなエネルギーが満ちている。ケーブルの宝山寺駅から境内までの石段を登っていく参道には旅館が立ち並んでいる。初めて来た人にはわからないであろうが、それらの旅館の内のいくつかは女の子を置屋から呼んで男が遊ぶ場所なのだ。私は利用したことがないけれど、聞くところによればそういう話しである。私は、宝山寺のユニークさは生駒山の中腹にある立地によるところが大きいので
はないかと考える。生駒山は高い山ではない。山頂は標高640mである。麓と山頂のちょうど中間地点に位置する宝山寺までは誰でも簡単に歩いて登れる。今は道が整備されているから登るのも楽で異世界という様相はまったくないが、延宝6年(1678)に開祖、湛海律師が入山された時には鬼や化け物の妖怪が跋扈していたそうだ。本当か嘘かは知らないが宝山寺のHPにはそう書かれている。標高300mぐらいの山中は地上の俗界から隔たっているが、完全にアジール(聖)の空間ではない。私は誰でも簡単に歩いて登れると偉そうなことを言ったが、実際はそうでもない。エヴェレストに挑むような登山家なら砂山を一跨ぎするような高さかも知れないが、一般の人間が歩くととても疲れる。だから私は電車で行くときはいつもケーブルを利用している。ケーブルがなかった時代の人々は鬼や化け物がいるような空間に自らの意志で、麓から苦しい思いをしながら歩いて登ったのだ。要するに聖と俗の中間にあって、地上の権力や常識が支配する世界から一定の距離感を持つと同時に、参りにくる人間の素性が問われ、信仰心が試される高さにあったということができるのではないだろうか。だから水商売や芸能関係者、在日などその
時代における社会のボーダーにいた人々の篤い信仰を集める寺になったのではないかと推測している。宝山寺にはそのようなタイプのエネルギーが充溢している。どこか中沢新一に影響されたような内容になってしまったが、宝山寺にはこれまで何度も訪れて純粋にそのような印象を個人的に感じるというだけのことである。もちろん私の見解は間違っているかも知れない。