龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

ジュセリーノの予言について2


ジュセリーノの予言について、9月25日放映の日本テレビFBI超能力捜査官』中、長崎市長射殺事

件の“伊藤一長”、あるいは英国人英会話講師殺害事件容疑者の“市橋達也”などの個人名が事件発生の

何年も前に文書に明記され、警告として送付されていたという事実に対して、私は信用していないと前回

書いたことの補足説明をさせていただく。全世界の一日当たり殺人発生件数は表面化しているものだけで

も数百件、発覚していない水面下のものを含めると数千件の数になるのではないのか。現職の市長が射殺

されるという事件はショッキングであり、世界的に見てもニュースバリューがあると言うことは可能だ。

しかし日本在住、英国人女性の殺害事件がブラジル人預言者の予知対象となる必然性は一体どこにあるの

だ。『未来からの警告』(たま出版)においてジュセリーノはダイアナ妃に対し死亡事故(暗殺)前に

「あなたの命が危険にさらされていると、七人の天使が私に語った。」と警告したことが書かれている。

天使が語るのはかまわない。ジュセリーノの予知夢というものがどのような性質のものか、たとえば“明

晰夢”のような状態なのかどうかよくわからないが、そこに天使の存在を仮定するのはジュセリーノの勝

手である。実際、私は天使は存在すると考えている。しかしジュセリーノの予言は、大地震や台風、疫

病、飛行機事故、暴動、異常気象などの多数の人間に影響を及ぼす事件以外は、たとえばローマ法王やダ

イアナ妃、アイルトン・セナなどの世界的な有名人の病気や事故などの危険性を警告するものである。本

国ブラジルから遠く隔たった日本に住む一般人の殺人事件までが予知対象になっていれば、たとえ88,

430通の予知文書を作成していたことが真実であったとしてもとても網羅しきれるものではないはず

だ。それなら、どうして日本の英国人英会話講師殺害事件が予知対象になったのであろうか。天使の気ま

ぐれか、あるいはジュセリーノ守護天使は日本で起こる事件をことさら気にかけていたというのか、そ

うではないであろう。ジュセリーノは悲惨な事故や事件が起きることを、未然に防ぐために警告し続けて

いるのである。ならば、どうして警告文書に出てくる人名が、“Tatsuya Ichihashi(市橋達也)”なの

だ。何で容疑者名が登場するのだ、おかしいじゃないか。当然“リンゼイ・アン・ホーカー(英国人英会

話講師)”だろう。私の記憶では『FBI超能力捜査官』においてジュセリーノが作成したとされる文書

のTatsuya Ichihashiの部分が大写しにされていたが、被害者であるリンゼイ・アン・ホーカーさんの名

前は出ていなかったように思う。それでは何の警告にもなっていないじゃないか。市橋達也という男が殺

人事件を起こすから気をつけろと千葉県警に警告したところで、どの市橋達也なのかわからない。たとえ

そこに被害者名が書かれていたとしても同じである。警告であるなら、被害者本人の元に送られなければ

意味がない。リンゼイ・アン・ホーカーさんの住所に市橋達也という名前の男があなたを殺害する可能性

があるから十分に気をつけてくださいという文書を送付して初めて警告の目的が達せられるのである。そ

れともジュセリーノはリンゼイ・アン・ホーカーさんの住所を夢で助言者から聞いてそこに送付したと言

っているのであろうか。いくらなんでもそれはちょっと考えにくいのだが。要するに、警告の対象が有名

人でないということ(警告した時点では誰にも知られていない人物であるということ)には論理矛盾があ

るのである。一方、長崎市長射殺事件を警告する予知文書において伊藤一長の個人名が明記されていたと

されることについてはどのように考えるべきであろうか。この場合、ジュセリーノ長崎市役所に対して

2007年4月に市長が射殺される予知を得ているので警戒してください、と言えば自ずと対象者は特定

される。市長の名前まで具体的に書かれているのはTV的にはインパクトがあって面白いが、ポルトガル

語を公用語とするブラジル人が伊藤一長という名前を正確に表記しているというのは、あまりに不自然

だ。いや胡散臭い。結局のところ『FBI超能力捜査官』という犯人逮捕や失踪者発見というテーマに沿

って作られている企画のなかで、ジュセリーノの予言が番組の趣旨に合うように捏造されている可能性が

高いと考えられる。ご丁寧にも、市橋達也が潜伏している現在(未来)の場所を予知したジュセリーノ

メモが警察関係者に手渡されていた。番組プロデューサーの微笑ましい知性が透けて見えてくるようで苦

笑せざるを得ない。それとも視聴者を馬鹿にしているのであろうか。たとえ『FBI超能力捜査官』がや

らせであったとしても、ジュセリーノの大多数の予言は真実だと主張する人も多いであろう。しかしどう

であろうか。もしジュセリーノの予言に元から、いかがわしさがないのであればそれを番組サイドでけが

してしまうような捏造をするだろうか。またジュセリーノが事件前に作成したとされる文書に1枚でも捏

造があるとするなら、それ以外の大多数もインチキだと見なすべきだと私は思う。

私は思うのだけれど、ジュセリーノに関心があって(あるいは予備知識があって)この番組を見た人の何

割が製作者サイドの嘘を見抜くことができたのであろうか。まあ、私が嘘だと考えているだけのことでは

あるが。年齢層が十代の若者ならおそらく全滅だろう。二十代であれば、10人中せいぜい1人いるかい

ないか位ではないだろうか。私はこれを“ゆとり教育”世代が被っている弊害だと考える。素直なのは大

いに結構だけれど、多数の人間に時には批判的に物事を見て論理的に考える習慣がないと世の中は変わり

ようがないのである。ジュセリーノが予言するカタストロフィよりもそちらの方がよほど危機的なのでは

ないのか。

ジュセリーノ予言の本質は、“ライブドアブログのかまたさん”も書いていることではあるがカルト的な

宣教なのではないかと思う。キリスト教的な終末思想のもと、不安感を植え付け怖がらせることに第一の

目的があるのだと思う。そこにメディアが便乗しているのであろう。予知対象に日本が多いのは、ジュセ

リーノが本国ブラジル以外で日本での認知度が圧倒的に高いということと関連しているようにも思える。

しかし予言とは別に大災害は、いつ発生してもおかしくはない。我々は決して油断してはならない。仮に

ジュセリーノの予言がインチキであったとしても、そのようなインチキが今日の日本において注目されて

いる現象そのものを、より高次な意味における予兆とみなすこともできないではないからだ。メディアが

使いたがりそうな、責任逃れの詭弁ではあるけれど。



「私は予言する。私の予言が実現しないであろうことを。」

「それじゃあ、最初から予言などするなよ。人騒がせな奴だな。」

「予言は注目されることによって、実現したりしなかったりするものだ。あなたたちの解釈が未来を作る

のである。どうして君が私に予言するななどと命ずることが出来ようか。」