龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 32


私はある一つの説話を思い出す。靴の商人が未開地の原住民に売り込むために上陸した。するとその土地

の人々は誰一人として靴を履いていなかった。その商人は、ここではとても靴は売れないとあきらめて、

すごすごと帰国した。すると上司にこっぴどく叱られる。はだしで歩く全ての人間に靴を履かせることが

出来ればどれだけ儲かるのか、何でそのように考えないのかということである。日本の民主主義に関して

言えば、はだしとは言えないまでも、大衆が履いているものは精々、粗末な藁ぞうり程度である。よって

全ての国民に高価な靴を履かせることが出来れば、限られた利益を取り合いながら全体としては縮小して

いくような現状とは比べものにならないくらい大きなマーケットを開拓することになるのではないであろ

うか。よって真のデモクラシー視点の拠点となるような発信源を、ネット掲示板のようなぐちゃぐちゃと

したものではなく、インターネット新聞を柱として体系化していくことは国家的見地から考えても必要だ

と私は考える。分かり易く言えばネットの中に新しい権威を作るのである。しかし、たとえばヤフーのよ

うな企業が独自の新聞を作ったとして、高級新聞に対抗するような論調の社説を発信したとすれば、既存

の権威は何を生意気な、この若造がと一致団結して潰しにかかってくるのは目に見えているような気もす

る。その時に我々市民は新しい声を、その枠組みを守っていかなければならないのであるが、現状の日本

人の意識レベルを考えてみればちょっと難しいような気がしないでもない。

しかし現状のメディア構造は、私がこれまでに何度も述べてきたように二項対立であって、二項対立の図

式は弊害が大きいのである。私が言うところの二項対立は多様性が収斂されていく結果としての二大政党

のようなものとは根本的に違う。そもそもの出発点であり、その地点から誘導されてゆく原因となるべき

対立なのである。大衆意識の二項対立は、シーソーのようなものである。公園にある遊具のシーソーだ。

シーソーの原理は重たい方が下がって、軽い方が上がるのであるが、現状の政治に結びつくメディア的シ

ーソーは必ずしも重たい(重要な)方が下がる(重要視される)とは限らない。軽い(つまらない)方を

下げ、重たい方が上がる(棚上げにされる、無視される)ことが多いのである。そしてその弊害が社会に

固着する。具体例は、たくさんあるであろうが列挙すると極端に長くなるので次回にする。だからそのよ

うな弊害を防ぐためには二項ではなく、三項が必要なのだ。私の提案に沿って言えば、国(体制)を代表

するNHK、市民の声を代表するべきヤフーなどのインターネット企業、そして何を代表しているのかわ

からない既存の権威としての高級新聞である。二点では平面にならない。重力の法則に逆らうような歪み

が生じて、世の中がおかしくなる。椅子の三脚と同じで三点あれば平面(現実)を捉えることができるの

である。三がいつも神聖な数字なのだ。父と子と精霊の名において。この三極のメディア構造を社会にき

ちんと作ってゆくことが、今、国策として日本がなすべきことの第一であると私は考える。地方紙やスポ

ーツ新聞、経済紙、業界紙を除いた既存の高級新聞は三つも四つもいらない。一つか、せいぜい二つあれ

ば十分である。これら三極構造がわかりやすく明確化されて安定すれば、自然に淘汰されてゆくであろ

う。また日本のためには淘汰されるべきである。

ヤフーについて書いたついでにグーグルについても思うところを触れておきたい。グーグルと比較される

ことでヤフー関係者は気を悪くされるかも知れないが、これも日本にとって非常に重要な考察だと思われ

るのでお許しいただきたい。梅田望夫氏の『ウェブ進化論』(ちくま新書)によればグーグルは全米から

天才のような人間がいっぱい集まって、インターネットのテクノロジーで世界の変革を目指しているよう

な革命的な企業のようである。それも本気である。私には検索やグーグル・アースのような地図ソフトで

世界を変えていけるとは到底思えないのであるが、ネットで新しい富の分配メカニズムを追求し、経済的

格差是正に貢献しようとしている点は非常に面白いと思う。ヤフーは、同じく外資のインターネット企業

であってもグーグルとは随分印象が違う。ちょっと、いやかなり控えめである。バランス重視というか調

整型の企業であると言える。日本の風土にはヤフーのような体質が合っているのであろう。グーグルとは

根本的な企業体質が異なるので、単純に優劣を論じる事は出来ないのかも知れないが、ここ1、2年の株

価低迷を考えると既存の権威と喧嘩し日本的構造をぶち壊してゆくような破天荒さもヤフーには欲しいと

ころである。こんなことを言う私は単に無責任なのであろうか。あるいはヤフー・ジャパンの経営トップ

(と言っても私は誰か知らないが)の性格による部分も大きいのかも知れないが、いずれにしても新しい

メディア構造を構築することが国益であるのは明らかなのだから、一企業の経営方針の問題として見るの

ではなく国策として道筋をつくり、バックアップしてゆく事が必要だと私は考えるのである。

グーグルのついでにアマゾンについても書いておく。私はアマゾン・コムを頻繁に利用している。文庫本

や単行本ばかりでなく、最近では国語辞典(新明解国語辞典第六版/三省堂)まで買った。アマゾン・コ

ムを利用したての頃は、書籍を検索するたびごとに、この商品を買った人はこのような本も買っていま

す。とか、あなたにおすすめの本があります、と画面に表示されるのが、正直なところ押し付けがましく

感じられて鬱陶しくてならなかった。でも、便利だからと利用し続けているうちに気にならなくなった。

マーケット・プレイスでの中古商品購入も最初は心配であったが、これまで何十回となく購入しているが

トラブルはまったくといってほどない。こういうのが、新しいシステムの力だと思うのである。アマゾン

を利用するようになってから、書店に行く回数は確かに減っているが、それでもたまには行く。私がよく

行く書店は東梅田の旭日屋書店、本店とジュンク堂書店、難波店であるがいつ行っても結構客は入ってい

る。特にジュンク堂書店では店内にテーブルと椅子が置いてあって立ち読みならぬ座り読みが出来る。そ

の気になれば一冊の本を一日かけて、ただで座り読みすることも可能なのである。こういう一見常識外れ

の斬新さが活性化させるものは、売り手にも買い手にも祝福をもたらすように思える。新聞では盛んに活

字離れを憂いているが本当だろうか。電車の中でも本を読んでいる人は必ず何人かいる。日本人は、みな

よく読書をしていると思うし、平均的な知的能力も高いはずだ。活字離れではなく新聞離れであって、そ

れは業界構造的な疲弊の問題だと思う。アマゾン・コムのロング・テール(恐竜のしっぽ)販売戦略は、

極めて革命的だと思う。本当の読書家が読むものは、誰もがその時に読んでいるものではありえないから

だ。テール(しっぽ)部分に宝は埋もれているのである。

グーグルにしてもアマゾンにしても言えることであるが、アメリカという国は確かにいろいろと問題は多

いと考えられるのであるが、その時代の圧倒的な既得権を平気で壊してゆくような革命的な企業をも許容

し得る、懐の深さという部分はとても魅力的である。しかしそれらをそのまま日本のシステムに当てはめ

てしまうことは問題が大きいのかも知れないが、日本の政治家には明らかに知恵が足りない。小・中学生

学力低下以上に深刻な問題だと思われる。政治家というよりも単に目立ちたがり屋のタレントもどきば

かりで根本的なことは何も考えていない。はっきり言って皆、馬鹿である。しかし、程度の低い政治家ば

かりを選ぶ国民はもっと馬鹿だ。もちろん私も含めての話しである。



先日のTBS番組『情熱大陸』による、将棋、渡辺明竜王佐藤康光二冠対局のドキュメンタリーはとて

も面白かった。私は基本的に単純なのでいい番組を見ると、とても元気になる。佐藤康光さんの綺麗な奥

さんが、甲斐甲斐しく献身的に夫の世話をしていて仲睦まじいのがとても羨ましかった。佐藤氏は渡辺氏

との対局中、緊張の余り体調を崩し一手を指すごとにトイレに駆け込んで激しく咳き込んでいた。身を削

るようにして闘う勝負士の凄まじさである。私は思う。私が書いている、このブログの文章もまた将棋の

一手のようなものである。私の場合は誰が相手かわからない。むしろ虚空を相手に真剣勝負をしているよ

うなものである。私の指す将棋はヘボ将棋には違いないが、それでも一手指すごとに私もまた血を吐くよ

うに咳き込んでいるのである。