龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 38


新聞についてであるが、私は職場兼居宅(実家)では昔から読売新聞を購読し続けており、妻と子が住む

マンションでは朝日新聞を取っていたのであるが別居するようになってから朝日新聞を目にする機会がめ

っきり少なくなってしまった。たまに読みたくなった時に、近くの駅売店やコンビニに買いにいく程度で

ある。それが、ここのところ連日コンビニまで朝日新聞を買いに行っている。

理由は、最近始まった島田雅彦氏の連載小説『徒然王子』を読むためである。

私は特に島田雅彦のファンだというわけでもない。これまで二冊程度の単行本や短編文庫を読んだ程度で

ある。それではなぜ熱心に『徒然王子』を読むだけのために私は毎日、130円握り締めて(というわけ

でもないが)朝日新聞を買いに走っているのか。たまたま目にした連載初回の書き出しが気にいったから

である。そこに何かしら感じるものがあったからだ。ここにその冒頭を書き写してみる。実は私は連載小

説部分だけを紙面から切り抜いて保存までしているのだ。


一、 憂愁の森

 ここはユーラシア大陸の東の際の日昇るところ、太平洋が果てる西の際の日沈むところ。

一人の悩める王子がいた。

 王子にはいくつものあだ名があった。ある者は彼を「憂鬱王子」と呼び、またある者は彼を「徒然王

子」と呼んだ。「ためらい王子」とか「夢見王子」というのもあった。王子の本当の名前はテツヒトとい

う。


この現代の大人たちに対する童話的な語り口調の書き出しは、読者をひとつの物語世界に引き入れるだけ

の魅力を持っている。と言っても、私は『徒然王子』の評論を書くつもりではない。社会の退廃や王子と

して為すべきもない無力感や不安などによって深い憂愁に囚われたテツヒトは、不眠症になって夜も眠れ

ない。それで目の調子がおかしくなって世界が青みがかって見える始末であった。それで、ある日の夜テ

ツヒトは眠れない気休めに森の中に散歩に出る。そこでテツヒトはある男と出会うのである。以下、引用

する。


―誰かいるのか?

 テツヒトが暗がりに語りかけると、背後で再び砂利を踏む音がした。振り返ると、十メートルほど離れ

たところに一人の薄汚れた男が斜に構えて立っていた。うつろな表情の髭面、口には火のついていないタ

バコをくわえ、裸足だった。


これは連載第三回目の終わり部分である。私はテツヒトが森の中で遭遇した男が悪魔であることがわかっ

た。いや、わかったという表現は正しくはない。本当はわかっていない。現在、連載七回が終了している

が、その男の正体はいまだ謎なのである。しかし連載六回目ではテツヒトは以前にもその男に会っていた

ことがあって、それは二十年前の十三歳の頃(ということは現在テツヒトは三十三歳である)風邪をこじ

らせ肺炎になり、昏睡状態に陥っていた夢の中に現れてあの世に手引きしようとしたようである。よって

私のその時点(連載三回終了時)の推測はあたらずといえども遠からずなのである。すぐに悪魔だとわか

ったわけではない。夕方にコンビニで朝日新聞を買って6時半ごろビールを飲みながら『徒然王子』第三

回を読んだ。その後、夕食を食べて風呂に入り10時半ごろ自室の椅子に腰掛けてぼんやりしている時

に、あれは悪魔に違いないという思いが何故かしら自分の心の中で強くなったのである。

朝日新聞の購読者が何百万人いるのか、そして『徒然王子』を読んでいる人間が何万人いるのか私には見

当がつかないが、連載三回終了時点でその男が悪魔であることを見抜いたのは私ひとりではないであろう

か。熱心に読んだ人ならわかると思うが、その時点ではその男が超自然的な存在であることを匂わせる材

料はほとんどなかったのである。普通に考えればその男は人間の誰かであるべきであったのだ。しかし私

は“悪魔くん”登場の気配を確かに紙面から感じ取ったのだ。即座にはわからず、4時間ほど経過してか

らのことではあるが。

私は今、たいして自慢にもならないことを自慢している。架空人物の正体を誰よりも早く見破るなんて、

なんて役立たずの能力なのだろう。どうして私にはもっと実利的な才能が備わっていないのであろうか。

まあ、そんなことはどうでもいい。それに、その男が悪魔であると決まったわけではない。こんな内容の

ブログを書くと、何百万分の一ぐらいの確立で朝日新聞編集者を通じて島田雅彦氏本人に伝わり、読者に

先読みされたことに作者はつむじを曲げて微妙に展開や構成を変えていくかも知れない。そんなことは、

あり得ないか。

小説における登場人物の正体を見抜く悪魔的な洞察力を有する私にも、今後『徒然王子』が面白くなって

ゆくのか、つまらなくなっていくのかまではわからない。決定的につまらなくなれば、私はコンビニまで

朝日新聞を買いに行って、鋏で切り抜くという日々のささやかな仕事から解放されるであろう。その時に

は読売とインターネット新聞JANJANだけで十分である。最後まで質の高い面白さを保ち続けてくれ

るのであれば、徒然なる私の日常に新しい喜びを与えてくれたことに対して心より感謝するのみである。

いずれ悪魔体験というものについても自分なりに書いてみるつもりである。私の現実に送り届けられた

徒然王子』の悪魔もしくは物の怪が、つぶさに検品のうえその辺りの玩具屋で売っているような、しょ

ぼくてつまらないものであることがわかった時には梱包の上、返品させてもらうからな。多少の愛情も一

緒に詰め込んでな。


「人間が語る物語には、いついかなる時にも人間以上の者が含まれている。」