龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 46


子供の描く絵には、見ていて飽きない魅力がある。上の絵は息子が小学校で描いたものだ。版画のような

黒い全身像は、本当に息子が描いたのだろうかと思ってしまうほどのしっかりした力強さが感じられる。

参観日の日に息子が通っている小学校の体育館で、全校生徒の描いた絵が展示されているのを見学したこ

とがある。それがみんな驚くほど上手いのである。先生の指導がいいのだろうか。子供の生命力や躍動感

がどの絵にも表れていた。教育というものは備わっていないものを押し付けたり、植え付けるのではなく

潜在的に持っているものを上手に引き出す技術であるということが子供の絵を見ているとわかるような気

がする。


3月13日の離婚調停の場において、妻と離婚が成立するはずであったのだが、土壇場で妻が離婚には応

じられないと言い出した。夫である私にもいいところの一つぐらいがあることがやっとわかってきたとい

うのがその理由であった。さすがに調停員も驚いていた。これまでの協議で和解条項案もできているので

ある。今までの話し合いは一体何だったのだということになる。相手方が根本の前提をこの期に及んで覆

すのであれば不調にせざるを得ない。不調になれば離婚訴訟であり、また一からやり直しである。それは

私にとってフルマラソンを走り終えた直後に、今の競技は無効になったからもう一度走り直してくれと命

じられるようなものである。気力も萎える。また私が訴訟を回避したい重大な理由があった。

和解案では、私が子供の親権者であり妻が監護者となっていた。私が親権を取る代わりに、息子が小学校

を卒業するまでの今後5年間、私が所有し現在妻子が住んでいるマンションに離婚後も妻子が住み続ける

ことを使用貸借契約として認め、小学校卒業以後成人するまでは家賃補助相当額を養育費に織り込んで増

額するというものであった。当然、マンションのローン代や管理費、固定資産税は私が支払い続けること

になる。それら以外の生活費としての月々の支給額も相場から見れば高い金額であり破格の条件提示であ

るといえた。子供との面接交渉は、これまで数年間の別居で行ってきた通り週末に私の家へ息子が遊びに

来たり、泊まりに来てそこで私が勉強を教えるというものであった。日本の法律では離婚後の共同親権

認められていないが、離婚後も共同で子育てするということで私は考えてきた。現にここ2~3年は夫婦

間の籍こそ入っていたものの、実質的には夫婦関係は完全に破綻した状態で子供が双方の住まいを行き来

するという欧米の共同親権的な子育てスタイルを実践してきているのである。ところが訴訟に移行してし

てしまい、双方が書面で激しく罵倒しあうようなことになれば和解は難しくなる。これまでにも夫婦間で

民事訴訟を通過してこのような状態になっているのである。それで離婚訴訟で一直線に判決までいってし

まうと親権は、ほぼ自動的に妻の方に認められることになる。親権者と監護者を分ける方法は双方の合意

の元で認められている制度だが、裁判所とすればそのような解決策に積極的ではなく判決として出すこと

はあり得ないのが実情である。離婚後の子供の福祉と親権に対する社会認識のつながりが日本の場合明ら

かに政治的に歪められていて齟齬をきたしていると考えられるのだがそれについて書くと長くなるのでと

りあえずは省略する。

そういうことで離婚訴訟は消耗するであろうエネルギー的にも子供のためにも避けたいのが本音である

が、相手が離婚に応じないというのであればしようがない。それで不調にすると言った。不調にするが最

後に相手方との同席の場でこちらの考えを直接述べさせていただきたいと調停員に申し出た。調停員は承

諾し、妻と相手方弁護士、私と私の弁護士、男女の調停員の計六人が一堂に会し私は妻に訴えた。

“ここまで離婚を前提に時間をかけて条件を話し合ってきたのに、どうして今頃そのようなことを言い出

すのだ。客観的、外形的に誰が見ても離婚は避けられない状況ではないか。訴訟をして一体何を争うとい

うのだ。このような状況下で私と君と子供の三人が最大限幸せになれることを願って作ったこの最善の和

解案を潰すようなことをしないで欲しい。”

調停員や双方の弁護士は黙って聞いていた。妻は何だかんだと反論していた。その後、私と弁護士はまた

控え室に戻って待たされた。調停員がまた妻に対して説得を始めたらしい。大阪は日本でも有数の離婚激

戦地区であるために、鍛えられているのか選抜されているのか知らないが、家裁調停員の仕事振りは感心

するほど熱心かつ優秀であるのである。次に調停室に呼ばれた時には、温厚という文字を絵にしたような

男性調停員がちょっと興奮した面持ちでこう言った。

「私は奥さんに調停員の立場として言うべきでないことを、本当は言ってはいけないことを言いました。

あなたはおかしい、間違っていると。」

女性調停員が引き継いで、

「あなたがどうしても不調にするというなら不調にせざるを得ません。でも、もう一期日だけ入れればど

うでしょうか。これからの長い離婚訴訟を考えればあと一ヶ月はそれほど長い期間とも言えないでしょ

う。」

と勧めた。

私の弁護士が

「同じだと思います。結局、今日の繰り返しになるだけだと思います。」

と言った。それは私も同感であった。相手方のやり方は牛歩戦術なのである。以前にも不調直前まで行き

ながら調停員の説得による妻の翻意で調停続行になった経緯がある。もう、これ以上同じことを繰り返し

ても無意味に思えた。

それで私は言った。

「妻が自分の口からはっきりと、次回期日での離婚を前向きに考えると明言するのであれば考えられなく

もありませんが今の状態では無理です。先延ばしにする意味はないと思えます。」

すると信じがたいことに調停員はそこからまた妻の控え室に行って説得を始めたのである。本当に熱心で

ある。

しばらくすると調停員は妻と弁護士を伴って調停室に戻ってきた。女性調停員が妻に対して

「さあ、自分の口からはっきりと言いなさい。」と言った。

妻は台本のセリフを読むような口調で無表情に

「離婚について前向きに考えたいと思います。」と言った。

私がどうしてさっきとは考えが変わったのだ、と聞くと

「あなたが戻ってこないというから。」と答えた。私は一瞬迷ったが「わかった、信用することにす

る。」と言って結局、その日は不調にせずにもう一期日予定を入れることになったのである。しかし、ま

たしても相手の術中にはまったのではないかと思えるような漠然としたイヤな感じと、取りあえずは訴訟

を回避できたことの安堵感や次回には離婚が成立するであろう期待感などが入り混じった何とも言いがた

い複雑な心境で裁判所を後にしたのであった。