生きること、書くこと 63
最近見た映画で最も心を痛め、考えさせられた映画は阪本順治監督作品の『闇の子供たち』である。
タイを舞台にした幼児売春、人身売買の話しである。山岳地帯の貧しい親たちは自分の子供を売春宿に売
り渡すことによってしか生きてゆくことができない。そして8歳や9歳の子供たちが観光と買春を兼ねてや
ってきた欧米人や日本人の相手をさせられることになる。男が小さな女の子を買うだけではない。大人の
女たちが小さな男の子のペニスにホルモン剤を注射して風船のように膨張させて弄ぶ。ホルモン剤を打た
れすぎて死んでしまう子供と事件の発覚を恐れ子供の死体をカードで買う欧米人女性がいる。夫婦で子供
を買いにくるケースもある。目の前で子供たちにセックスをさせ、その光景を見て興奮した夫婦が子供を
性の奴隷のように自らの快楽のために奉仕させる。エイズにかかった子供は、文字通りゴミくず同然にゴ
ミ袋に入れられて捨てられる。
まさに書いているだけで怖気をふるうような内容である。臓器移植手術では、売られた子供が脳死ではな
く生きたままの状態で心臓を摘出される。映画と梁石日(ヤン・ソギル)の原作では、日本人夫婦が闇ル
ートで4千万円用意して10歳の我が子に手術を受けさせようとしている。日本新聞社、バンコク支局の記
者、南部浩行は臓器ブローカーに接近して取材を重ね悲惨な真実を報道しようとする。現地バンコクのN
GO団体、社会福祉センターの日本人女性、音羽恵子は職員たちと一緒になってその手術を阻止しようと
闘う。しかし二人の前にはマフィアの暴力が立ち塞がる。
私が映画を見た日には、たまたま阪本順治監督が舞台挨拶に来ていた。上映終了後、阪本監督は当初映画
化するにあたって、原作に書かれた内容がどこまでが真実でどこからがフィクションなのか気になってい
ろいろな文献や資料を調べたところ、小説の中の描写が緻密な取材に基づいた真実であることがわかって
かなりショックを受けたと話されていた。
当日、劇場で販売されていた梁石日の原作小説を買って読んでみた。そこに描かれていた世界はあまりに
もグロテスクであり、内容が内容だけに映画による映像表現がかなり抑制されていたものであることがよ
くわかった。それで私もまた阪本監督と同じように思ったのである。本当なのだろうか、と。ある程度の
事実には基づいているのであろうが、かなり誇張されているような気がしないでもなかったのである。特
に生きた子供が臓器提供のドナーにされて殺されるという部分についてである。映画パンフレットの中
で、ある大学病院の移植部医師が、「他のこどもを殺してまで移植を受けたいと思う日本人の親はいな
い。~略~そこまで日本人の心はすさんでいない。」と書かれていたが、まったくその通りだと思った。
いや、そう信じたかった。
しかしその後、少し古いものではあるが1992年に発刊されたサンデー毎日記者によるルポルタージュ
『幼児売買』(広野伊佐美著、毎日新聞社)をアマゾンで購入し読んでみてちょっと参ってしまった。
“日本人にはいない”と言い切る自信がなくなった。この手の本ばかり読んでいるとうつ病になってしま
いそうである。我々の知らない闇の世界は、確かにどうしようもなく存在するのである。
思うに資本主義というシステムは、その国や地域にある程度の富や経済力が蓄積されるまでは人権やモラ
ルという概念は発動し得ないのである。絶対的な貧困の前では幼児の臓器や生命までもが商品として売買
されてしまう現実がある。我々の常識では到底考えられないことである。しかしその常識とは単に資本主
義本来の残忍さがすっぽり包み込まれて見えなくなってしまうまでに何重にも肉付け塗布されて発達して
きた経済力という名の道徳に過ぎないのではないか。法律もまた無力である。多数の親や子供たちが自ら
の生命すら維持できないような環境では権力の処罰に効力などあるわけがない。役人や軍、官僚などが闇
の勢力と一体になって需要と供給のもとに行われる取引が全てとなる。
また資本主義の成長、発達は先に豊かになった側の者が見たくない光景や不快な事実を隠す壁を作ってし
まうという本質があるように思える。途上国がAPECのような国際会議を開催するときにスラム地域が
見えないように塀や大きな看板を作って隠すようなものである。そのような物質的な壁だけでなく富める
者と貧しいものの間に意識の壁もできて隔絶されてしまうと、見えないものはそもそも存在しないように
錯覚してしまう。今日のグローバル社会において富める者が見たくない光景や現実は国境を越えて、貧し
い国の貧しい地域にどんどんと押しやられてしまう。そしてますます見えなくなって、そのような問題が
あることすら忘れ去られてしまう。
どうすればいいのかは判らないが、先に豊かになった者はやはりきちんと見なければならない責任がある
と思う。そして先進国は地球規模の環境問題も踏まえた上で、新しい資本主義のあり方を考えてゆかなけ
ればならない時期にあるのであろう。日本という国は経済援助の金はばら撒いてきたのかも知れないが、
本質的には何も見ていない。『闇の子供たち』は豊かでありながら“見ない者”の前にある壁をいきなり
取り払ってしまうような作品であった。