生きること、書くこと 96
現職の裁判官が痴漢するなどということが本当に有り得るのであろうか。
嫌味で言っているのではない。私には正直なところ、ちょっと信じられないのだ。ストーカー行為ならま
だわかる。所詮、男と女の間のことだからプライドや嫉妬心が絡んでくると、たとえ裁判官と言えども一
人の人間として時に節度を外れた突飛な行動を起こしたとしても第三者的にはまだしも理解できるのであ
る。
しかし裁判官が痴漢をするであろうか。別に私は裁判官の肩を持つつもりはない。また裁判官という肩書
きだけで人間としての品性を信用するつもりもまったくない。むしろどちらかと言えば私の見方は世間一
般とは反対である。だが冷静に考えてみれば誰もが納得できると思うが、裁判官は“法律”という知性と
“理性”という自己抑制のプロである。そのようなプロが痴漢(準強制わいせつ容疑)で逮捕されたとな
ると、私の知性と理性が混乱するのである。将棋の羽生喜治名人が素人の私と平で真剣対戦して負けるこ
とは絶対に有り得ない。でももし私が羽生名人に勝ってしまったら、私は現実をどのように考えればよい
のかわからなくなってしまうであろう。たとえは適切でないかもしれないが、現職裁判官の痴漢容疑での
逮捕(さらに付け加えれば酒を飲んでいた訳でもないという状況)は、私が将棋で羽生に勝ってしまうの
と同じ位に世界を動揺させる事件だと言えるのだ。
だから私は自らの精神を正常に保つためにも以下のように想像する。くどいようであるが、私は嫌味や皮
肉でこのようなレトリックを弄しているわけではない。“裁かれる側の者”として純粋にショックである
だけなのだ。
裁判官には冤罪の可能性がある。事件そのものが仕組まれたものであるかも知れない。被害者は、あるい
はその背後にいる人間は痴漢冤罪に深い恨みを持っていた。だから裁判官に復讐しようと考えて、あるい
は痴漢冤罪をなくするために現職裁判官をターゲットにしてこのような事件を仕組んだのである。
私個人の妄想を離れれば、現実的には有り得ないことである。そのような手の込んだ馬鹿げたことを計画
する組織や個人が現在の日本に存在するとは到底、思えないからである。しかし100%ないと言い切れ
るであろうか。もしかすれば、警察は容疑者が現職裁判官であるという理由で私と同じように考えるかも
しれない。その場合は被害者の身元や背後関係が警察に隠密に調査されるであろう。あるいは一般人容疑
者の場合と同様に裁判官は拘置所で締め上げられるだけかも知れない。そのあたりの状況は私にはわから
ないが、興味深いところでもある。なぜなら裁判官は一般に民間人と警察の証言が食い違えば、無条件に
警察の証言を採用するからだ。逆もまた如何ほどに真であるかということだ。
男は男であるという理由だけで、すべからくわいせつ犯の容疑者である。男は男というだけで女に暴力を
振るう生き物である。だから女の親告で一旦、男が容疑者となれば逃れる術はない。それはそれで一つの
社会論理である。そのように考えておけば、社会は平和で最低限の秩序が保たれるからである。しかし、
そのような論理は本当は底流で大衆の精神までも貪欲に搾取せんとする資本家の見当違いな啓蒙に結びつ
いているだけなのである。
人を裁くということがどういうことなのか、人を肉体的にあるいは精神的に殺すことがどういうことなの
か、人を罪人へと認定することがどういうことなのか、司法だけでなくメディアや国民の一人一人が問わ
れているのである。
もし本当に現職裁判官が素面で痴漢行為を働いたのであれば日本の権力中枢は信じられないほどに腐って
いるということである。私のように市民生活の末端で日々、生活に追われているような階級の人間は痴漢
をしたり、ストーカーになるようなことは絶対に有り得ない。社会上層部でエリートとして社会道徳や秩
序を捏ねているような人種が余裕に飽かせて破廉恥行為を働くのである。それが現在の日本の大きな特徴
である。