生きること、書くこと 110
こんな事があった。6月18日のことである。
その日の朝、母の友人女性二人がどこに遊びに出かけるのか知らないが、母を迎えに会社事務所までやっ
てきた。母が居宅から一階事務所に降りてくるまでの間、その二人には事務所の椅子に座って待ってもら
うことにした。私は前日の売り上げを帳面に記帳しているところであった。するとその内の一人が私を見
て、「まあ、立派な息子さんで。」と言い、いろいろと個人的なことを聞いてくるのである。いやな予感
通り、住んでいる場所やら、結婚しているのかとか、私の妻や子供は一体どこにいるのかとかいったこと
である。
私の簡単な受け答えで私が妻子と別居していることの察しはついたのであろう。するとよりによって「ま
あ、お家がたくさんあってよろしいですはねえ。」などと嫌味に聞こえることを言われたので途端に話し
相手になるのが面倒になった。私のプライバシーは込み入っていて簡単に説明できるようなものではない
のである。それで居心地も悪くなり降参とばかりに、その場から忙しそうなふりをしてそそくさと逃げ
た。“デリカシーのないおばはんの話し相手をさせられるのだけはかなわん”と腹立たしくも憤慨した。
そう言う私自身も“おっさん”だが。しかし後で母から聞いたところによると、私にはまったくわからな
かったことだが、その嫌味なおばはんの正体は私の中学時代の同級生女子の母親だったのだ。同級生は名
前を“めぐみ”といった。
「めぐみちゃんは早くに離婚していて、子供を引き取って、実家でピアノ教室をやってるそうやで。」と
いうことは以前に母から聞いていたことだった。おばはんが、その“めぐみちゃん”のお母さんだとわか
って、単に興味本位で私のプライバシーを詮索していた訳ではないことがわかった。私のことが、娘の境
遇と同じように何となく気にかかったのかも知れない。きっとそのおばはん、ではなくめぐみちゃんのお
母さまは私に自分の娘と同じような幸の薄さをそれとなく感づかれたのであろう。それでいろいろと聞か
ずにはおれなかったのだ、とその時は思った。
話しは変わる。その日仕事を終えてから、夜7時ごろに難波までパソコンの本を買いに出掛けた。実は最
近パソコンを買い換えたのであるが、OSがVistaに変わって扱いにくいのである。それでVistaの簡単な
解説本を探しに行ったのだ。ビックカメラの書籍売り場で適当な本を購入して、馴染みのバーに寄ってい
くことにした。場所は法善寺横丁のすぐ近くにある。法善寺界隈は織田作之助の小説『夫婦善哉』の舞台
になった場所だ。私は『夫婦善哉』に出てくる、ろくでなしのどもりの主人公が大好きだ。私も立派なろ
くでなしになりたい。そのバーで飲んだ帰りには法善寺に立ち寄って、緑の苔に覆われた水掛不動にお参
りすることにしている。息子との縁(えにし)が今世で断ち切られることがないようにと祈るのである。
その日、店内は比較的空いていた。店は扉を開けると手前から12~13人ほどの客が座れるカウンター
席がまっすぐ奥に伸びている。私が入った時には既に女性の二人連れ客が入り口側の席に腰掛けていた。
カウンター奥には別の客が一人、二人ほどいて中央が空いていた。私は手前二人の女性からスツール3つ
ほど離れた場所に座った。一杯目は“ジントニック”を注文した。いつものように考え事をしながら、ぼ
んやりと酒を飲み進める。特に何を考えるということもない。あれやこれやと漫然と考えを巡らすだけで
ある。本を読んでいるふりをしていることも多いが、実際には目は活字の上で止まっていて考え事をして
いるだけのことが多い。
二杯目は“ダイキリ”を注文する。この頃から何となく隣の女性二人の話し声がゆらゆら踊る妖精のよう
に私の思考と交錯し始める。女性二人は親子ほど年齢が離れているようであった。年長の方は50代後半
ぐらいであろうか。若い女性は20代後半か30歳ぐらいに見える。ほとんど一方的に年長女性が若い女
性に話しかけていて、若い女性は相槌を打つように何度も「へぇー」という感嘆の声を上げている。その
「へぇー」の音声が単調ではなくバリエーションがあるのだ。たとえば驚きの度合いが大きい時には1オ
クターブ下がった「へぇー」である。声に感情の豊かさがよく表れていた。私は女性が発する何種類かの
「へぇー」を聞いている内に、徐々に心地よくなってきた。微かな酔いも手伝って、波間に揺られるよう
に聞こえてくる女性の声が揺蕩うように、尖った思索をそっと和らげてゆく。
三杯目は、“ピンクレディ”だ。しばらくした時のことである。年長の女性が私の方を見ている。その上
何か言っている。何を言っているのかよく聞き取れない。私は現実に立ち返って、どきっとした。私が何
かしただろうか。何もしていない。ただ一人で考え事をしながら酒を飲んでいただけのことである。