龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

ジ・アザー・サイド

現実を見よ、と人は言う。
しかし時に現実は泥沼となり
喘ぎ、もがく人間を溺れさせることであろう。
果たして溺れる人間に沼の全体を見ることなど出来るものか。
なら溺れないためには、どうすべきであろう。
泥沼を、底まで見通せる澄み切った湖へと
どうすれば変えられるであろうか。
多くを望まないことだ。
自分を他者と比べないことだ。
この二つさえ常に心がけることができれば
人生の現実は泥沼ではなく美しい湖になるのだ。
他者より豊かになろうと願ってはならない。
他者より賢くなろうと、強くなろうと、
煌びやかであろうと、名高くあろうと願ってはならない。
それらの願望は全て資本主義の歯車であり
社会本能に組み込まれた陰謀だ。
我々は現実の別の側面
そうジ・アザー・サイド(向こう側)を見なければならない。
そこは未開のエル・ドラド
全ては個として独立すると同時に虚無であり
個性は黄金色の輝きを放射しながら時空を超えて
夢のようにつながり合っている。
我々はジ・アザー・サイドにおける
永遠の住人でもあるのだ。
ジ・アザー・サイド(向こう側)はオン・ジス・サイド(こちら側)に
無言で浸透し、絡み合い、反応し、そして解き放たれる。
我々は黄金の輝きの影として
映画の1シーンのように、こちら側に映し出されている。
他者との優劣も所詮は影のようなもの、そこには濃淡の違いがあるだけだ。
しかし優劣の幻想が、こちら側の確固とした現実を形作っている。
優劣が、戦争や暴力を、貧困や環境破壊を生み出している。
そして世界全体がついに泥沼と化すのだ。
こちら側の現実とは花のようなもの。
咲くかも知れぬし、咲かぬかも知れぬ。
しかしいずれはどこかで必ず咲くであろう。
咲くときには、その花の形と香りで
咲くようにしか、咲かない。
それが我々のそして世界の運命だ。
運命とは神が創るものではない。
強者の優越性を守るための信念体系が運命と言う名の
花を咲かせるのだ。
戦場では花が咲き誇るように無数の人間が死んでゆく。
いつの日か世界全体が死の花畑で覆い尽くされるのであろうか。
こちら側の世界にはどこにも神は見当たらない。
花が咲くという必然と道理があるだけだ。
さあ、この花々を何と見る。