龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

スキャン代行問題についての考察

なるほど、そういうことか、見えてきた。何の話かと言えば、前回に述べたスキャン代行、いわゆる自炊代行についてであるが、私は前にも言っていた通り、自炊という言葉の意味さえ知らず、この問題に精通していなかったので根本的な所がよく見えていなかった。見えてきたこととは、自炊代行の問題は要するに、スキャンされた本のデータが業者側に残るということに尽きるのである。依頼者から送られてきた本は、スキャン後に裁断された紙片が所有者の依頼者に送り返されたり、業者内部で破棄、処分されることとなる。それについては、出版社や著作権者もそう神経質に疑いを差し挟むことにはならないであろうが、データに関してはそうはいかないということだ。本来はデータも納品後に、消去させなければならないが、それはさすがに著作権者側からすれば信用できなくとも仕方ないことであろう。データが残されていれば、何度でも使い回しが効くということである。つまりは同じ本の注文がきた時には、わざわざ手間を掛けて再度、裁断、スキャン、検品をしなくとも前のデータを納品すればよい訳であり、そうなることは業者側のモラルの問題というよりは、少しでも手間を省いて利益を高めようとする営利行為の本質から考えても一つの必然である。そうなると自ずと自炊代行業者は、スキャンの代行という建前で本のデータを安値で販売し得る立場になるということであり、出版社や著作権者からすれば容認できない、権利の侵害だと主張することも理解できないことではない。これは個々の業者の良心や姿勢のあり方ではなく、本質的には業態上の問題であって、今の法令の環境下においては、ビジネスとして合法的に成り立つことは中々難しいと思う。実際には何ら不正行為をしていなくとも、不正があると看做されても仕方のない業務形態であるということだ。では、その問題をどのようにすれば解決するのかということであるが、それについて述べる前に触れておきたいことがある。今回の作家側勝訴の判決によって、それでは自炊代行は、まったく壊滅してしまったのかとネットを調べて見れば、決してそういうことでもないのである。正々堂々と営業しているのかと言えば微妙なところもある(例えば問い合わせ先の電話番号が大抵は記載されていない)が、代行してくれそうな業者は、いくらでも出てくる。但し、それら業者のホームページを仔細に眺めていると、著作権に関する注意事項において、依頼者から送られてきた本は著作権者からのスキャンの承諾が得られているものとして受注するなどとなっているのである。つまりは依頼人が自分で、出版社や作家などから承諾を得た上で、発注をして下さいということなのだ。そのような形式を取らなければ業務の継続が難しいという事情はわからないではないが、それでもそれはおかしいのではないのか。今回の訴訟結果においても自炊代行業者が訴えられて敗訴したのである。代行業者が著作権者に無許可でスキャンをする営業活動が、著作権の侵害だとの判決が出たのであるから、同様の事業を継続させようとする業者は、常識的に考えれば、依頼人に承諾を得させるのではなく自分たちが、個別に出版社や作家から承諾を得るべきではないのか。これでは何かあった時に、つまり出版社や作家などから訴えられた時に、きちんとこういう但し書きがなされているから、発注前に著作権者から承諾を得ていない依頼人の方に落ち度があるとして責任をなすりつけようとするビジネススタイルであり、あまりに姑息であると言える。そこまでして事業の継続をするのであれば、廃業したほうがよいのではないかとも思う。そもそも出版社や作家が、一般の人間がスキャン代行をどこかの業者に発注する度に、一々個別に電話やメールで承諾を求められるのでは迷惑であろうし、また承諾する訳もない。なぜなら誰か一人の人間に一旦、承諾してしまえば、それが既成事実化することとなるからである。Aという人間には認めるが、Bという人間には認めないとか、Aという作品には認めて、Bという作品には認めないという訳にはいかないということである。中学生が考えてもわかることである。つまり依頼者にスキャン代行の承諾を得させるやり方は、ナンセンス以外の何物でもないということだ。さて、それではどうすれば良いのかということであるが、あくまでも個人的な見解であるが、私はアマゾンがスキャンの代行をすればよいのだと思う。問題の構図とすれば同じことではあるが、言うまでもなくアマゾンは、成長著しいアメリカの巨大企業であり、日本の自炊代行業者とはスケールが違う。アマゾンは新刊本を送料無料で発送するなど、実質的に送料分の値引き販売をすることで、既に日本の再販制の旧弊を打ち破っているのである。ところがどこからも問題視する声は、少なくとも大きな声では上がってきてはいない。アマゾンは電子書籍端末、キンドルの販売も好調のようであるし、電子書籍化(キンドル本)の数も拡大させてきている。またキンドル化への希望も個別の本ごとに画面上から収集している。アマゾンであればスキャン代行も不可能ではないと思う。その価格や権利関係については、アマゾン内部で調整すればよいだけのことであり、たとえデータの保存がなされたとしても、日本の出版社や作家なども不正だなどと糾弾し難いであろう。仮にアマゾンに提訴がなされたとしても、これからの日本には、有難いこと(?)にTPPが待ち構えている。ISD条項の適用で、もしアマゾンが国際投資紛争解決センターに提訴すれば、日本での判例があったとしても日本の著作権者側が勝てる可能性は、極めて小さいものとなるであろう。いい気味である。私は日本人としてアメリカ政府はあまり信用していないが、アマゾンの絶対的な顧客重視の姿勢は大いに信用しているものである。ということでアマゾンにスキャン代行事業開始の要望をしてみようかと考えているところである。もちろん私が要望したからと言って、どうなる訳でもないのだが。アマゾン以外のもう一つの方法は、前回に述べた通りに書籍のデジタル化を国家的な文化育成事業と考えて推し進めることである。新たな法令を整備し、政府主導の元で日本国内に保存、流通するあらゆる書籍のスキャン代行を為し得る権限を与えた公益法人を作り、そのデータを国有のデジタル図書館として保管するとともに、個人がある紙製の本を本屋やアマゾンなどから買ったことがある購入証明書をその機関に送付することによって、一定の価格でその本の内容をスキャンしてもらったり、データを購入することができるようにするという方法である。この方法が、国の文化的な視点から考えても、著作権との関連や調整のやりやすさの点においても私はベストだと思うが、はたして現実的にはどうであろうか。日本の政治家は新しい世の中の動きについては徹底して勉強不足であるし、中々そういう煩雑なことに首をつっこむ人は出てこないであろう。利権が発生するのであれば、話は別であろうが。そう言う意味では、国民が国益のために政治家を動かすためには、国民が政治家のために新たな利権を考え出してあげないということであり、情けないことではあるが、それがこの国の実情なのであろう。明らかに日本の政治家は、一般的な日本の国民レベルよりも知性においても品性においても劣っていると思う。それが日本の平和の正体でもある。