龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

特定秘密保護法についての考察3

それではさらに、特定秘密保護法違反によって民間人が逮捕されるケースを検証したいと思う。確かに、この法律の第23条1項には、「特定秘密の取扱いの業務に従事する者がその業務により知得した特定秘密を漏らしたときは、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。特定秘密の取扱いの業務に従事しなくなった後においても、同様とする。」との条文がある。朝日新聞は12月6日(金)の朝刊において、「規制の鎖 あなたにも」との見出しで、以下のような仮想事例を紹介していたので、それをテキストとさせていただくことにする。
〈想定されるケース〉
「A子とB男は大学の同窓会で再会した。B男は、防衛産業省関連の仕事に従事している。B男は、B男の仕事内容に興味を持ったA子に促されて、酔った勢いで、仕事内容を詳しく話してしまう。実は、B男はミサイルの研究をしているのだが、数年前に北朝鮮から発射されたミサイルが、もし失速していなかったならば、この辺に落ちていたはずだということをA子に披露してしまった。翌日、B子はブログにその内容を書き込んだ。そうしたところ、そのブログを見た防衛マニアが、北朝鮮のミサイルが飛ぶコースを軌道計算して、ネットで拡散させた。翌月、捜査機関がA子とB男を訪ねてきた。B男はA子のブログではイニシャルで紹介されていただけであったが、同窓会名簿から割り出されたのだ。B男は業務で知った秘密を漏らした疑いで、A子は漏洩をそそのかした疑いで、取り調べを受けることになった。」
さて、いかにも朝日新聞らしい内容ではあるが、実際にこのようなことが、起こり得るのであろうか。こういう記事内容に多大なる不安を感じ、また触発されて、法案反対のデモ活動に参加していた人も多いと思う。先ず、この事例から感じる違和感というか、ごまかしは、秘密保護法施行以前と、以後の光景を混同させているところにあると思う。上記の事例は、あくまでも施行以前に見られる日常光景であり、またそれが罪に問われることも当然起こり得ないものである。ならば、これからの法律施行以後は、そのようなケースで事例文同様に捜査機関に狙われる不穏な世相となるのであろうか。こういうところで冷静かつ客観的に物事の真相を見極め、洞察できる能力が持ち得ないのであれば、デモなどに興じたところで何の意味もないと私は思うのだが。施行前と施行後で何が異なるかと言えば、施行後は、行政機関の長が、各適合事業者に対し特定秘密を保有させるための契約を取り結ぶこととなる。また特定秘密を保有することになる従業員にも経済状態などの身辺調査が行われた上で、情報提供がなされる。これが意味するところは、秘密を漏洩したことがバレて問題になれば、その事業者の代表者や従業員にとっては、特定秘密保護法の適用以前に、契約違反の道義的な信用失墜による指定業者解除や、職務規定違反で首になることの不利益があまりにも甚大であるので、酒席の場で気易く誰かに他言するような軽々しいものではなくなるはずであるということだ。また必然的に秘密の漏洩行為はスパイなど確信的に悪意のあるものに限られることとなるであろう、ということでもある。特定秘密保護法施行後の状況を、施行前の光景に単純に当て嵌めて論じても、その法律の正しい成否の判断材料とはなり得ないということだ。百歩譲って、仮にそのような事例が法律施行後において、起こったとしても、ブログに記載されているような内容は、、言ってみれば風聞、デマに属する類のものである。そのブログ記事を何人の人が読んで、その内の何%が本気にするかということだ。そういうことに対して、捜査機関が動き出すことになるとは到底、私には思えない。安倍総理も、ブログ記事で摘発というようなことにはならないと言っていたが、当然のことである。特定秘密保有者の公務員や事業者が、実名で国や政府に反旗を翻すような意図で情報を暴露するなら話は当然別であるが、噂話程度の書き込みで捜査対象になるようなことは考え難いことである。これは一つの法律に対する解釈の問題と言うよりも、朝日新聞の提示した仮想事例が、恣意的な解釈を読者に促す内容であるとも見れる。こういうような類の記事内容の集積で、あのように火のついたような猛烈な反対運動が市民の間で巻き起こっていたのであれば、それはそれで非常に問題であると私には思えるのであるが、どうであろうか。きちんとした自分なりの批判能力なり洞察力を持ち得ずに、このようなマスコミの誘導に簡単に乗せられてしまう人間が、あまりにも多過ぎる事実も悲しい事ではあるが。それから北朝鮮のミサイルが、軌道計算によりどの当たりの地点に落下することになるかという情報は、「知る権利」との関連で見れば、特定秘密保護法の施行前、すなわちこれまでの状況においても、仮にマスコミが信用できる情報をどこからか入手していたとしても、おそらくその内容を国民に公表しないであろうと想像されるものである。もちろん要らぬ不安やパニックを国民に与えぬためという理由からそうなるのであろうが、本来はそれは政治が判断することではないのか。いずれにせよ、国民の生命に関わる特定の重要事実について、マスコミが報道したり、報道を控えたりするところの自由度があるのであれば、秘密保護法についてマスコミが盛んに「知る権利」が阻害される恐れがあるとして反対していた、その「知る権利」の正体とは一体、何なのか、誰にとっての「知る権利」なのか、そういうことをこの法律成立に強く反対していたマスコミ以外の人々は、今一度、改めて冷静に考える必要があると思われるものである。
次回に続く。