龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

特定秘密保護法についての考察5

秘密法は外国人差別を増長する危険性があるのだろうか。相変わらず、朝日新聞はそういうことを言っている。正確には、朝日新聞が言っているのではなくて、在日活動家の意見を掲載しているのであるが、同じようなものである。主張している内容が、まともに論評すべきレベルにあるとも思えないので、敢えて名前は出さないが、曰く、ヘイトスピーチの差別表現は「権力の後ろ盾がある」との思いから差別を楽しんでいる人々によって行われているものである。「権力の側」の意識は、日本政府が、北朝鮮による拉致問題などと「結び付け」、朝鮮学校を高校無償化の対象から外していることと、「従軍慰安婦」問題への対応が冷淡であることが原因となっている。特定秘密保護法はこうした「権力の側」の意識によって、「外国人は危険」という漠然とした印象を大衆に植え付け、また「適正評価」は秘密取扱者の配偶者や両親の国籍も調査対象となることから、「敵と味方は血で分ける」思想であり、まさに人種差別だというものである。さて、皆さんはこのような意見に対してどのような感想を持たれることであろうか。当然、人それぞれに感じ方は異なることであろうし、賛同する人も多いのかも知れないが、それでもこのように大新聞の一面に掲載するのであれば、右、左どちらの意見であろうとそれなりの客観性や信憑性を兼ね備えた内容であることが要求されるものであると思うが、私はそのレベルにないと思う。具体的に反証するのも馬鹿馬鹿しいが、先ず、ヘイトスピーチに「権力の後ろ盾」があるとは、到底、認め難いものである。現に、朝日や毎日などのマスコミだけでなく、国会でも問題視され、裁判においても在特会に対して1000万円もの賠償命令が出されているではないか。これのどこが「権力の側」なのか。中立的に見ても、在特会の活動は、権力の側に寄り添うものではなく権力を敵に回したものである。在特会が廃止すべきだと主張するところの「在日特権」は、日本の国家権力によって守られているものであって、その論者の主張は権力と差別表現を混同しているところに根本的な思考の過誤がある。在特会の活動についてはその主張内容に一定の道理があっても、過激な差別表現は日本の品位を貶めるものでしかないから容認できないということが、日本の政府や多くの国民の共通した見解であって、彼ら自身も権力の後ろ盾があるなどとの思いから活動していたのでないことは明らかである。むしろ在特会は権力の矛盾を追及していたものだが、マスコミなどにヘイトスピーチ命名され、差別団体としてカテゴライズされることによって潰されてしまったと見れるものである。差別と日本の権力の在り方は半世紀前はいざ知らず、現在においては全然、別の問題である。権力はどのような意味合いにおいても、差別を増長させたり、容認する姿勢を有していない。しかし、それと北朝鮮拉致問題朝鮮学校の無償化との関連は別である。その論者にとっては権力による差別ということになるのであろうが、確かに朝鮮学校に通っている生徒たちには何の罪もないことではあるが、それでも現在においても拉致被害者の家族たちは、悲壮な思いで自分たちが生きている間に奪われた子供や兄弟を日本に返してもらいたいと活動しているのである。そういう人々の気持ちを考えた時に、朝鮮学校で果たしてどのような教育が行われているのかわからずに、北朝鮮政府の要請で、新たに日本人の拉致を行う工作員が養成される可能性もあるのではないかとの不安も完全に払拭できない中で、日本国民の税金で朝鮮高校を無償化の対象に含めることなど許されるものであろうか。何も、無理やりに「結び付け」ている訳ではない。朝鮮学校に通っている子供たちが可哀そうだというのであれば(私も多少はそう感じるが)、それは在日の人々にとっては、日本政府にではなく母国に向けて批判すべき筋合いのものではないのか。それを70年も前の戦争責任だけをいつまでも根拠にして、差別だなどと主張し続ける姿勢は、日本と言う国に対する甘え以外の何物でもないと私は思う。またそもそもそれ以前に、いくら日本は思想、信条の自由が保障されているとは言っても、北朝鮮の拉致行為に対して日本人は批判することはできない、などと考えているような人物の発言内容を、朝日新聞のような影響力のある大新聞が秘密保護法の批判のために強引に差別と関連付けて掲載することが、公共性の観点から考えて妥当だと言えるのであろうか。また「適正評価」における配偶者や両親の国籍調査も同様であるが、国籍によって線引きして排除するものではなく法律の性質上、近親者に外国の情報機関との接触がないかが調査されることは当然であり、よって国籍を無視することの方が余程、不自然な姿勢であって、「敵と味方は血で分ける」差別思想などとの表現は、到底「適正」な批判とは言えないものである。どうも朝日新聞の編集や論評の質もかなり落ちてきているようであり、定期購読している身には行く末が心配である。次回の更新時に、一旦毎日新聞にでも変えて見ようか、・・・それもどうかとは思うが。次回に続く。