龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

監視社会の妄想と現実 2/2

つまりはっきり言うが、前回に私が公開した記事内容に関連しているのではないかということである。そう言えば、そんな馬鹿な、とか、被害妄想に過ぎないとか、警察はそこまで暇ではないと思われる向きも多いであろう。そう言う私自身が、そう思わないでもないのだが、日本の警察は組織上の根本的な欠陥や矛盾点、一般市民の道徳感覚に相反するような問題を指摘されて、上層部の人間が動揺を感じた時には、正に「暇人」的な対応が示されるのではないかとも想像されるのである。私が前回の記事で述べたことは、正に図星であったのかも知れない。長年、優良運転者の私が、ごく普通に車で走行していて、覆面パトカーにスピード出し過ぎの警告を装って、職務質問されなければならないような覚えはまったくないものである。それでその日(つまり覆面パトカーに職務質問された日)の夜に、まさかとは思いながら、大阪で「Nシステム」が設置されている場所をパソコンで調べたのである。そうした所、当日の私の通行ルートで見れば、覆面パトカーが私の車の2台目後方に信号待ちで停車していた交差点の地点から2キロほど遡った場所に、何とNシステムが設置されていたのだ。これは単なる偶然なのだろうか。Nシステムとは、知らない人も多いかも知れないが、オービスのようなスピード違反だけでなく、犯罪車両の位置情報を警察が的確に把握するための監視システムなのだ。しかし本当に犯罪検挙のためだけに利用されているのかどうか、わからないという声もある。私の場合で言えば、私の車がそのNシステムを通過して、予め登録されていた車両ナンバーにヒットしたことから、近隣を走行中のパトカーに職務質問せよとの指示が無線で出て、覆面パトカーに追いかけられたとすれば、ちょうどその交差点の信号付近で追いつかれるということは当て嵌まるような気もするのだ。それで左折して問題の一般道に入った後、回りのがら空きの状況から、後ろにぴったりと付けて追尾することも出来ず、ある程度の距離が開いた時に、止むを得ずバッシングして、赤灯を出して私の車を止めざるを得なくなったのではなかろうか。そして職務質問の第一目的は、車両ナンバーと私の免許証の名前を照合することであったのではなかろうか。そういう指示が本部から出ていたのではないかと想像される。もう一つの目的は、言うまでもなく、ブログに余計なこと(警察組織を動揺させるようなこと)を書くなという文字通り暗黙の「警告」であったのであろう。その二つの理由のために、私はスピードの出し過ぎに対する警告を装って、「職務質問」されたのではなかろうか。ここで読者は、ではどうして警察が私の車の車両ナンバーを私の書く記事との関連において、結びつけ、把握しているのかと素朴な疑問を感じられることであると思う。当然の疑問ではあると思う。それについて詳しく説明すると長くなり過ぎるので、簡潔に言えば、警察は私のことを知っているとしか言えない。そして、その事実を私は知っている。プライベート情報の流出がどうのこうのと言う問題ではない。厳密に言えば、そういう問題も含まれているのかも知れないが、元CIA職員のスノーデン氏の暴露によるまでもなく、基本的にインターネットなどにそれなりの文章を継続して投稿していれば、身元は割れていると考えるべきである。私に関して言えば、ヤフーとアメブロに同じ内容の記事を公開しており、現時点では私は実名を出していないが、一時期、ヤフーのプロフィール情報に実名を出していたこともあった。但し、私自身は一向に構わないのであるが、私は自らの離婚体験を通じて、離婚後の共同親権の必要性についての記事を書くことも多く、その題材は自分にとって非常に重大で、自らの表現からどうしても切り離すことの出来ないテーマであり、その関連において息子のことも述べる機会があるので、息子が成長して小学校高学年から中学生へと大きくなってくると、どうしても息子のプライバシーを考えて私の実名を出すことが憚られるという事情があるのであった。しかし、どうせ警察やマスコミに私の名前や身元は割れているであろうし、敢えて私の実名を公表するかどうかということは、息子のプライバシーの問題を除外すれば、私にとってはさほど違いはないし、さほど大きな問題でもないのである。私が公表しているブログ記事を読む人の数は非常に限られているが、ごく一部の警察やマスコミ、そして政治関係の人間も目を通していることであると思われる。それは注目されているということではなくて、非常に緩やかに、表現の自由を損なわない程度に「監視」されているのである。わかりやすく言えば、マークされているのだ。非常に緩やかなる監視、村上龍流に言えば「限りなく透明に近いブルー」、それが日本の何よりの特徴である。中国のようにガチガチに検閲したり、監視下に置いたりはしないが、遠隔的に見張っているのである。それに対して私が特に不満を感じることもない。一般に公開している記事であるのだから、それぞれの立場の人が読んでくれて、それなりに感ずるところを持ってくれれば、それは私の希望するところでもある。それに対して、監視されていると感ずるか、応援されていると励みに思うかは、私の主観の問題であって一概にどうのこうのと言えることではない。しかし仮に警察が、Nシステムを利用して、私のように犯罪と何の関連もない人間の位置情報を捕捉して、付近の覆面パトカーに追尾させ、職務質問することによって、それとなくではあっても警察組織に不都合な表現を思い留めさせようとしているのであれば、それは大変に問題のある行為だと言わざるを得ない。しかし繰り返すが、必ずそうであると断定もできない。本当にたまたま、覆面パトカーに出くわして、単に後方からの目視でスピードの出し過ぎだと見做され、止められて警告されただけのことなのかも知れない。むしろ正直に言えば、個人的にはそちらの可能性の方が高いようにも感じられる。比率で言えば、7・3でそうだと言えようか。しかし、もう一方の3割の可能性は、私にとって、いや日本の全市民にとっても限りなく大きくて、無視のできない数字である。日本は、いや全世界は、確かにそういう社会に移行して行っているのである。無邪気で鈍感な人間にはわからないだけのことだ。先に述べた地元の交通課の警察官に話しを聞いていた時のことであるが、最初の内は比較的、丁寧に答えてくれていたのであるが、私が「Nシステム」について言及した途端に、態度が変わった。露骨に及び腰になって、私の質問を遮るように一方的に喋りつつ、話しを打ち切ろうとしている姿勢が強く感じられた。恐らく末端の警察官には、実際のところ、Nシステムがどのように運用されているのかはわからないので、迂闊なことは保身的に口に出来ないのであろう。しかしそれでは困ると言うものである。莫大な税金を投じて、設置されている監視システムであるならば、一般市民に余計な不安や近未来の杞憂を感じさせないように明瞭、明確に説明する義務が警察にはあるのではないのか。皆さんは、どのようにお感じになられるであろうか。とにかく私は今後、自分の身の回りに何か不審なことがあれば包み隠さず、悉く書き記していくことにする。恐らく、痴漢の冤罪に巻き込まれるようなことはないであろうが、それが自分の身を守るためでもある。