龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 93


国が豊かであれば利己的な人間こそ競争原理の中で勝者や勇者になれるであろう。弱者もまたそれなりに

生きていけるであろう。しかし弱者が最低限の生活すら保障されない状況になっているのであれば国の仕

組みを根本的に変えてゆかなければならないはずだ。そもそも自由競争主義か福祉国家かという二者択一

の問いかけそのものがナンセンスだ。小泉元首相以降に国内経済が決定的に悪くなったという人は多い。

アメリカ型の競争原理主義信奉者であった小泉氏には大局的な時代の移り変わりと適切な処方が見えてい

なかったのである。欧米先進国をモデルとして物真似するような明治、大正時代の意識が日本の支配者層

にはいまだに残っているのではないだろうか。日本は時代に即した日本に固有で最適のシステムを絶えず

検証し、追及していかなければならないはずだ。

今日、その“最適”を国民自らが考えなければならない。なぜなら政治やメディア、司法など日本社会の

支配者としてマスの意識すなわち常識や良識に深く関わっているエリート層は自家薬籠中の主義主張をこ

ね回すばかりで牽強付会の節義から離れることが出来ず、真の意味で“全体”を考えることが出来ないか

らである。はっきり言うが、今日的な全ての思想は“目先”の金儲けの論理である。金儲けが悪いとは言

わないが、全体像をきちんと見通す視点がなければ資本主義社会は自然にごく一部の金持ち以外は奴隷の

ような世の中になっていくのである。

それではどうすればよいのか。私の説は以下の通りである。

地方を活性化し地方分権を推し進め、多極的な日本を作っていくためには中、長期的に地方人口を増やし

てゆく方策を講じる必要性がある。地方で生まれ育った人間がその土地で働いて結婚し、子供を生み、一

生暮らしていけるような環境を作ってゆかなければならない。もちろん、そう簡単に出来ることではな

い。しかし10年ぐらいかければ実現不可能ではないと思う。日本にはこれまで中期、長期の計画がな

く、目先の政局運営ばかりに捉われているからこのような深刻な事態になっているのだ。自民党政権がこ

れだけ続いてきたのに、中期的な方向性すら混濁としている状態は国家として異常である。中国のような

一党独裁国家の方が政治的に優れているように見えるぐらいであるから、やはり日本の民主政治はどこか

に重大な欠陥があると言わざるを得ない。

日本のような小さな国で人口が1億3千万人もいてGDPが世界第2位であるにも関わらず、医師不足

救急患者が病院をたらい回しにされた挙句、死亡するなどという事態は日本のこれまでの権力構造が金儲

けの論理と深く結びついていたことの証拠でもある。人間中心の社会ではなかったということだ。ホーム

レスの人々が見捨てられ、年間3万人もの自殺者がいて、死刑執行の数が増加していることも全ては底辺

で繋がっている。日本は人命尊重、平和主義の建前とは反対に人間が完全に“物化”している。出生数が

減少するのは当然である。このような状況を打破していくために、中央による一つの考え一つの方針を改

めて、地方分権への推進を活力を生み出す多層的な社会への変革と位置づけるべきである。地方に道路を

作ったところで、それを利用する人間や活用する企業が不在であれば無用の長物だ。立派な道路があるに

越したことはないが、道路が地方を栄えさせるわけではない。地域経済の基本は公共事業や設備投資など

ではなく人間の出生と定着である。また地方が企業を誘致するために重要な条件は社会資本ではなく、教

育(人材)であるべきだ。優秀な学生が地元に本社のある企業に就職することを条件に、その都道府県が

学資を援助するような仕組みを作ることが望ましい。職業選択の自由や中途で他府県の企業に転職する場

合はどうなるかなどの法律的な契約上の問題が生じるかも知れないが、そこは生まれ故郷の地方を豊かに

してゆくことが、地域住民全ての幸福ひいては日本全体の繁栄につながるという理解を共有すればそれほ

ど障壁にはならないと思われる。プロ野球のスカウト合戦のようになると抵抗感を感じる人もいるかも知

れないが、競争原理の有効活用とは今日の日本においては個人ではなく、地方間で行われるべきである。

それと関連して地方独自の教育を実現させるために文部科学省は今や、不要であると私は主張する。過激

なことを言うなと叱られるかもしれないが、日本は識字率も100%ある上に、全国ネットのTVや新聞

等で日々同じ情報を共有しているのである。公立の小、中学校が同じ教科書を使って、国家統制された均

質な教育が必要であるだろうか。地方がそれぞれの教育スタイルを考案して、その地域発展のための人材

を育成していくべきである。各都道府県が新しい教育の“実験場”となるべきだ。そして教育方法、人

材、地元企業の三つの要素によって地方は各企業や定住者を募るべきである。人間中心の多極的な社会シ

ステムとは以上のようなものが相応しいと私は考える。均質な情報、教育は横並び、右へ倣えの思考しか

生み出さない。大量生産、大量消費によって右肩上がりに経済成長してきた時代には、“均質”が有効に

機能してきたのであろうが、これからの日本は“差異”を生産性に結びつけるような社会モデルに転換し

ないと生き残れないであろう。差異が日本を活性化し、明るくしてゆくのである。

また国家的な教科書検定がなくなれば、歴史認識において韓国や中国に内政干渉されることもなくなるで

あろう。国の統一見解などどうでもよいのである。

地方がそして個々人が自由に物事を考え、一人一人の差異が新しい日本を創ってゆく原動力となるような

社会は素晴らしいとは思わないか。