龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

人間と変身

何かが怖い。何かが不安だ。
目には見えない、何かしらが
私という人間存在の奥底で蠢き
人並みに生きんとする
我が人生のささやかな幸福を
妨げようとする。
何かとは、何だ。
それは言葉と言葉の間にあって
未だ言葉にならない未分化の呻吟。
それは物と物、人と人の間にあって
そこはかとなく漂う不吉な気配。
そして生まれついての呪いのように
私にまとわりついて離れない重苦しい足かせ。
何かが間違っている。
誰も声に出して言わなくとも
決定的に何かが不条理で、
何かが不道徳なのだ。
何かという一つの認識をもつこと
何かを見ざるを得ない宿命と共に生きること。
移りゆくもの、曖昧なものこそが真理だ。
形なき不確かな何かに生命の本質が潜んでいる。
しかし何かの位相で
世界と我が生を解釈せんとすれば
私という存在の根底が大きく揺らぐこととなる。
だからこそ
何かが怖くて、何かが不安なのだ。
つまり人間にとっての幸福の条件とは
決して何かを見ようとしないこと、
何かを見過ごしながら生きることなのだ。
あまりに深く何かを見つめれば
不幸であるだけではなく
人間の枠さえもはみ出てしまって
人間で有り続けることが難しくなる。
あれは、何ていったんだっけ。
ある日、巨大な虫に変身した
カフカの小説の主人公だ。
私には、そのザムザの気持ちがよくわかる。
何かを深く見すぎたがために
人間から、決して誰にも愛される可能性のない
異物としての巨大な虫に変身してしまったのだ。
その触覚を通じて
人間よりもはるかに鋭敏に世界の何かを感知し得る
虫にである。
してみると、私ももはや可愛げのない
一匹の巨大な虫なのであろうか。
ああ、この私に向かって
血のように新鮮な、紅色の林檎を投げつける
人間は誰だ。
人間とは、人生とは何なのだ。